石川勝の誕生から初当選までをご紹介します

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様々な業種を経験し議員へ!しかし大きな壁に・・・。

誕生から今まで

私は、島根県生まれの父と岡山県育ちの母のお力で、昭和43年8月3日にこの世に生を受けました。父は貧乏な農家で育ち、中学卒業後大工の道で厳しい修業を積み20代前半に大阪で起業するに至りました。

当時の建築業界は大盛況で多くの職人さんたちが父のもとで働いており、私はそんな多くの職人さんと一緒に父から人間道を仕込まれつつ、中学校ではバレーボール部に、高校では帰宅部に、大学では不動禅拳法部に所属し、時代の象徴ともいえるような学生時代を歩んできました。

大学3回生の時、将来の自分のあり方を考えるようになり、バブル経済の絶頂期を知る私は、「とにかくお金が必要だ」と思い、当時お世話になっていた不動産会社の社長の勧めもあって宅地建物取引主任者の資格を取得して不動産業界への進出を夢見ておりました。その後の出会いによって不動産業界・保険業界・建築業界での仕事を経験しつつ、この間多くの仲間と共に様々なまちづくり運動に携わってきました。

これらの経験をいかして38歳で吹田市議会議員に初当選しました。

しかし、吹田のポテンシャルが活かされていない行政運営に黙っていることができず、2011年の吹田市長選挙に出馬するも、私の力不足により落選。

その後も、市長選挙で訴えた「つよい人をつくる」「地域の経済を豊かにする」活動を展開し、延べ50名を超える大学生を研修生として受入れつつ、地元の企業と共に数々のプロジェクトを展開し、現在に至ります。

また、吹田だけではなく、大阪府下はもとより、全国各地の政治家300名以上と切磋琢磨しており、その責任者としての担いもお預かりしております。

吹田市議会議員 石川勝

石川勝の思い

街頭イベント

原点は青年会議所・・・

24歳の時、「自分のビジネスネットワークを広げ、お金を稼ぎたい」と思って参加したのが青年会議所運動です。しかし、この運動に参加するや否や、私の目論見は一瞬にして消え去りました。

「ビジネスの話はするな!」「社会に受け入れられるためには、先ずは自分が社会のために何ができるのか!を考え行動しなければならない」「そうすれば、勝手にビジネスにもつながる」と先輩から強く指導を受けたのです。

この経験によって、それまで私の心の奥に眠っていた公共心や使命感が一気に湧き出てきました。以降16年間、休むことなく、大切な時間とお金を使って、この運動に関わって参りました。

さて、私が青年会議所運動や地域の活動にかかわる中で見出してきた「まちづくり・ひとづくり」の共通点は、「さまざまな意見の対立こそ重要であること。徹底した本気の議論があるからこそ、それを乗り越えつつ、良かれと思う方向で調和が図られ、安定した状態が築かれるのだ」ということです。

イベント

しかし、議員になって初めて知った議会の現実には戸惑いを隠せませんでした。普通の組織の物差しでは計られない、独特の力が働いていたからです。

例えば、政治家同士が意見をぶつけ合う場面は殆どなく、私も含め「みんな言いたい放題」。そこには、より良い果実を生み出す力が働くわけではなく、結局市長から提案されたことが、無意味な力と数によって、流れ作業のように決まっていくのです。

大きな危機感と同時に、自分の力の無さに落胆しました。たぎる思いを胸に政治の世界を志して議員になってみたものの、議会や行政の現実を前に躊躇の気持ちが芽生え、初心を失いがちになりました。

しかし、私に与えられた使命は、与えられた状況の中でどうすれば物事を前に進めることができるのかを考え、打開していくことであると感じ、先輩議員や全国の政治家達に自分の思いを説き、意見を聞いていきました。
その結果、ほとんどの議員の心に、「このままではあかん!」と感じる公共心や使命感が眠っていることを知りました。

インターン生と

多くの政治家が「大きな危機感を抱いている」にもかかわらず、大切な議論がなされずに、ただ時間だけが過ぎ去っていき、確実に未来にツケをまわしている。こんなに沢山の「変えようとする心があるのに、なぜ変わらないのか!その答えの担保を取るために、私は平成の志士との出会いを求め、「龍馬プロジェクト」立ち上げの旅に出ました。

私が目指すのは、議会内に単なる数の力を作り出そうということではありません。あくまでも超党派で、将来の日本のあるべき姿を描き、吹田の役割を腹に落とし、その為の具体策について吹田市議会の議員間で是々非々の議論ができる仕組みを作っていくことです。

つまり、議会で意見をぶつけ合うことによって「責任ある方針」を生み出し、市長部局と闘う「本来の二元代表制」の実現や、来るべき地方分権を、しっかり預かることのできる強い基礎自治体づくりなど、新しい仕組みを構築していかなければならないと思っています。
私がこのような思いに至った原点は、冒頭に記した青年会議所で培った経験にありまして、この運動は、「私の人生そのもの」と言っても過言ではありません。

沢山の仲間と汗をかき、いくつもの事を成し遂げた過程では、本気で喧嘩をしたり悔し涙も流しましが、日本の未来を想像してワクワクする思いを抱き、共通の目標に向かってど真剣に進んできた事で、社会における自分の存在意義を見つけるに至りました。

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